サン・フランチェスコ・デラ・ヴィーニャ教会図書館:古代の本、初版本、希少な本の遺産

14 September 2021

アルド・マヌーツィオとともに、ヴェネツィアで「近代 」の本が生まれた。

ヴェネツィア、2021622日 ― 壁の向こうには緑とブドウ畑、そしてラグーンを迷う視線。一番感動するのは、その静寂である。

サン・フランチェスコ・デラ・ヴィーニャ教会図書館は、昔と変わらないままでヴェネツィアの一角に残っており、その「本物らしさ」には心が打たれる。このフランシスコ小修道会の修道院が、カステッロ地区のこの小さな街の主役であることに疑問はない。足を一歩踏み入れると、近隣の学校の喧騒から隔てられ、超現実的な静けさに包まれる。

サン・フランチェスコ・デッラ・ヴィーニャ教会図書館のルーツは1200年にある。1400年末にアルド・マヌツィオが出版印刷活動のために選んだのがヴェネツィアだった。彼は出版の先駆者であり、ヴェネツィア共和国「セレニッシマ」から全ヨーロッパに近代化の衝動を与えた人物である。

今もここにいる数少ない修道士たちは、教会、修道院、そして図書館を管理している。その図書館は、年月とともに神学研究者たちの基点・基準点となった。現在では、ヴェネト州の様々な迫害された修道院の11のコレクションから、20万冊以上の書物をこの図書館が保管しており、そのうち45000冊は古代のものである。その閉鎖された修道院のひとつ、サン・ミケーレ・イン・イゾラ教会では、ヴェネツィアではじめて印刷されたアラビア語コーランの最後の1冊が発見された。そのコーランは現在はサン・フランチェスコ・デッラ・ヴィーニャ図書館のコレクションに含まれている。この膨大な遺産の「保護者」であり、ガイドから館長までこなしているのが、修道士リノ・スガルボッサだ。

「ここには、活字印刷によるコーランの初版本があります。1537年か1538年にパガニーノ家がヴェネツィアで製作したもので、現存する唯一のコピーです。美的な観点からみると非常にシンプルな本ですが、その内容は非常に重要です。」修道士リノが説明している。

「このコーランは、現在残る唯一の初版です。これは中近東セム語の研究者であったテセオ・デリ・アルボネシがたしかに所有していたもので、彼はコーランの印刷が初めて試みられたのはヴェネツィアだという情報を伝えてくれました。どのようにして修道士たちのもとにやってきたのかは、不明なままです。」

「私たちが持っているこの最初の本によると、このコーランは、1700年後半、閉鎖されたフランシスコ会のひとつで、コネリアーノにあるサンタ・マリア・デレ・グラツィエという修道院にありましたが、その後ヴィットリオ・ヴェネトに移されました。オーストリア支配の時代(*)に、この図書館は移動を繰り返しました。修道院は1800年代の終わりに修道士の所有に戻り、1950年代に16世紀の他の作品とともに、この図書館はサン・ミケーレ・イン・イゾラ教会に移されました。サン・ミケーレ・イン・イゾラ教会が閉鎖された後、サン・フランチェスコ・デラ・ヴィーニャ図書館に到着し、現在まで保管されています。」
(*) オーストリア支配についての詳細には「ヴェネツィアの歴史」の記事を読んでください。

サン・フランチェスコ・デラ・ヴィーニャ修道院の歴史は、抑圧と拡張からなるもので、この800年の長い間、修道会を特徴づけてきた。

「修道士は1254年からこの場所にいます。その数年前から、ここにいたかもしれません。なぜかというと、マルコ・ジアニは遺言で、ブドウ畑の土地を宗教団体に寄付しましたが、その中には修道士も含まれていましたし、その遺言には修道士たちが以前からここにいたとも書かれていたからです。この寄付の後、修道士たちは小さな修道院とゴシック様式の教会を建設しましが、その後は完全に改築されることになりました。」

「15世紀後半になると、アルセナーレの開発により、この地域に人が集まるようになりました。修道士たちは、修道院を拡張する必要性を感じ、修道院に2つの回廊を追加しました。中央には永久に図書館とするための部屋を作りました。それは修道院の心臓部と言ってもいいほどでしょう。そして、その直後に現在は菜園となっている大きな回廊を作りました。」

「1600年には別の棟が建てられ、薬局や診療所、修道士の服を作るためのウール工場として使われていましたが、修道院が兵舎になった後、つまり1810年以降に、取り壊されました。」修道士たちは1883年にサン・フランチェスコ・デラ・ヴィニャに戻り、修道院での生活を再開した。

(*) 翻訳者の注: ナポレオンは修道院を閉鎖したので、1810年から1830年までの間、兵舎になりました。そのため、修道士はその生活を一度は捨て、1830年ナポレオン後に、またその建物を得て、元の生活に戻りました。

「この修道院の歴史の中で重要なのは、エキュメニカル研究所です。それは、ローマのポンティフィカル・アントニアヌム大学の一部である神学部で、私たちも所属しています。」

「この研究所のおかげで、図書館も恩恵を受けています。というのも、当初は修道士のためだけにサービスを提供していましたが、その後、公共の図書館のように、定期的にサービスを提供するために、拡大して一般に開放するようになったからです。」

「研究所の設立に伴い、図書館は特にエキュメニカル(教会一致運動)的な作品を専門に扱うようになり、2つ目の部屋が作られました。2000年から、ヴェネト州の修道士たちは、数字上の理由と仕事の不足を理由に、いくつかの修道院を閉鎖することになりました。そのため、地域の監督局とともに、閉鎖された修道院の様々な古代のコレクションをこの図書館にに持ち込むことに決めたのです。このようにして、当初4万冊だった古書の数が、現在では20万冊近くに増え、そのうち4万5千冊が古書である。」

「2003年にサン・フランチェスコ・デラ・ヴィーニャ教会図書館は国立図書館システムに参加し、ヴェネト州の地域図書館の一部となったため、私たちのカタログは誰もが参照できるようになりました。」

冷暖房完備の新しい書庫には、16世紀の書籍、1600年代や1700年代の書籍、ミニアチュール(細密画)、初版や非常に珍しい版、検閲されたテキストなどのほか、より近代的なものもある。神学や哲学に関する膨大な書籍に加え、ヴェネツィアの歴史に関する古書、アトラス、手稿、聖歌隊の本、初期の印刷例などもある。

そして、図書館には、専門知識、彫刻、研究など本物の名作があふれている。

例えば、4言語で書かれた多言語対訳聖書(ポリグロット・バイブル)の第2版だ。これは1570年から1572年のもので、60人の作業員が2年間かけて作成した。その他には、原語と翻訳を右左に並べた割書きの聖書など、極めて特殊な書籍がある。

また、ヨアン・ブラウの水彩画の地図もある。彼は、東インド会社公認の地図製作者で、息子たちとともに地球儀や地図帳、都市のイラストなどの作成にその生涯を捧げた。

1500年代後半から1600年代前半にかけてジョージ・ブラウンが制作した6巻の図版は、都市のイラストの最大のコレクションである。まるで衛星写真のように都市を上から見た図や、鳥瞰図によって、都市が再現されている。

この図書館では、写本から印刷された本まで、本の歴史をたどる真の旅ができる。読むのが難しいゴシック・ローマ文字からラテン語の丸い書体、「オクタボ」版の発明により1400年に出版の発展に大きく貢献した文庫本の先駆者、アルド・マヌツィオが導入した筆記体まで、さまざまな種類の可動式活字についての旅もできる。