マドンナ・デラ・サルーテ祭り:毎年の11月21日に、ヴェネツィア人は1630年の疫病終息のための誓いを更新する

19 November 2021

毎年の11月21日に、ヴェネツィア人はマドンナ(聖母マリア)に供物のキャンドルを持っていくために長く、ゆっくりで道順に進み、風が吹いても、雨や雪降っても、自分の家族を守ってくれることを願います。

マドンナ・デラ・サルーテ教会に行くことはヴェネツィア人にとって義務なのですレデントーレ祭りと同じく、この祭りの際にも毎年サン・マルコ地区とドルソドゥロ地区を繋げる仮設の橋を作られています。このゆっくりの行列は仮設の橋を渡しながら、伝統通りに家族と友達と一緒にされています。4世紀前とドージェ(*)のニコロ・コンタリーニと総主教のジョヴァンニ・ティエ―ポロが疫病の生き残った人々を集め、3日間の行列を組織した時と同じように。あの時に、ヴェネツィア人は、疫病から終息できるなら、拡大な教会を建設するという誓いをマドンナへしたのです。
(*)翻訳者注:ドージェとはイタリア語でのヴェネツィア共和国の元首

しかし、ヴェネツィアと疫病の繋がりは死と苦しみだけではなく、復讐と立ち上がる意志でも成り立てられています。ヴェネツィア共和国「セレニッシマ」の歴史の中では2つの猛烈な疫病を思い出すことができ、それは数か月で何十人は亡くなった劇的なエピソードと考えられています。954年と1793年の間、ヴェネツィアは69回疫病と戦わないといけなかったのです。その中でもっとも大変なのは1630年の疫病でした。その疫病の終息の後、建築家バルダッサーレ・ロンゲーナが設計したマドンナ・デラ・サル―テ教会の建設を決定されたのです。

半世紀にわたりのマドンナ・デラ・サルーテ教会の建設は疫病の普及の後、1687年11月9日に完了されましたが、祭りの日は11月21日に延期されました。

このマドンナへの誓いは食事としても思い出されています。実際に、一年に一週間だけカストラディーナという肉スープを味わえることができます。カストラディ―ナスープのメイン材料はプロシュットと似いてるカストラート、すなわち香辛料入りとスモークされたオスの羊の足です。ダルマチアやアルバニアの材料なんですが、なぜかヴェネツィア料理に使われているのかというと、疫病中なのにダルマチア人だけはヴェネツィアに商品を供給し続けたので、感謝の表現としてまだこのスープを作られているからです。

「カストラディーナ」という単語の由来はまだ不明ですが、二つの仮説があります。1つ目によると、その単語はヴェネツィア共和国の領土に数多くあった兵舎や奴隷のための食材を蓄えられた倉庫は「カストラ」と呼べられ、その単語から遡ります。もう1つの説によるとオスの羊を指すために「カストラ」という単語は使われましたので、材料の単語からこのスープはカストラディ―ナと呼ばれるようになりました。

このスープの作り方は長く、とても複雑です。実際に、肉を柔らかくするために3日間に3回煮込まれます。その後は、キャベツ、玉ねぎと他の野菜に入られ、ゆっくりに全てを煮込まれ、美味しく、濃いスープになります。

カストラディ―ナはヴェネツィア人にマドンナ・デラ・サルーテの祭の際に決して欠かせない食事なのです