2021年6月8日、ヴェネツィアー アルセナーレ (*) の歴史は、人と船と海の歴史です。数日前に、国内外のボートに特化したイベントの第2回目が開催されました。
9日間のヴェネツィアボートショーで語られた海軍の芸術が、その「自然の家」に戻ってきました。8世紀前、アルセナロッティ (*) がセレニッシマ共和国の船を作った場所に、現代のボートのあらゆる革新がもたらされています。
(*)翻訳者注:アルセナーレとはドック(船を造り出されている場所)という意味します。
(*)翻訳者注:アルセナロッティは「工廠員」、アルセナーレの職人という意味します。
現在、イタリア海軍の司令部となっているアルセナーレは、豪華な雰囲気と、ガレーア船(*)やその他のヴェネツィアの船に命を与えています。そして、地中海におけるセレニッシマ共和国の艦隊を偉大なものにした、すべての鍛冶職人、ロープメーカー、アルセナロッティ、大工、建築家の仕事を思い起こさせてくれる場所です。
(*) 翻訳者注:「ガレア船」とは中世末期から地中海に広まったオールと帆を備えた軽便な軍艦で、非常に薄くて平らな形をしている船です。
アンドレア・ロマーニ提督は、アルセナーレや現在も海軍歴史博物館に保存されている船の珍しい話や逸話、そして、この場所の歴史から海軍とのつながりまで語ってくれます。
ヴェネツィアのアルセナーレの生まれと拡大
ヴェネツィアのアルセナーレは、もともとは現在のカステッロ地区ではなく、サン・マルコ広場の近くにありました。東洋との貿易関係を維持し続けるために、より安全な船団を持つ必要があったため、ヴェネツィアにはガレーア船を建造するための最初の造船所が設けられました。この造船所がサン・マルコ広場からカステッロに移されたのは11世紀のことで、現在もその場所にあり、街の偉大かつ急激な発展に貢献しています。
海軍の生活と力の中心の一つであるアルセナーレは、国家の船舶生産を確立しました。また、ヴェネツィア船の建造を通して、新しい貿易ルートを確立し、それを守る能力保っていました。
これは、地中海でのセレニッシマ共和国の海軍力発展を決定づけた要因です。アーセナルが非常に正確で効果的な管理・統制体制を持ち、その中でヴェネツィアの有力な貴族の代表者が交互に役職に就いていたことにも象徴されています。
また、アルセナーレが街の公的、政治的生活において中心にあったこともわかっています。「海との婚礼の祭典」などヴェネツィアの大イベントの際には、性のアルセナーレに保存されているセレニッシマ共和国の代表的な船「ブチントーロ」をアルセナーレ提督が操縦していました。また、アルセナロッティ(工廠員)よく組織された極めて高いプロ意識を持って働くことのできる熟練たちであり、船の製造だけでなく、火事の際には今でいうところの民間防衛のような役割も果たしていたのです。
14世紀にはすでに、ヴェネツィアのアルセナーレはヨーロッパで最も重要な造船所のひとつとなっており、ダンテの『インフェルノ』の第21カントでは、「l'Arzanà de Viniziani」汚職への罰を受ける場所として言及されているほどでした。
当初は造船所でしたが、後に拡張され、400年から500年の間には、最大の壮麗さを誇るようになりました。周囲3kmの壁や、4000人以上のアルセナロッティの家が建設され、1日に1隻のガレーアが造船されました。また、このタイプのヴェネツィアの手漕ぎボートは、長さ41メートルで、通常は6~12ヶ月かけて製作されていました。
4世紀になると、アルセナーレの生産量は3倍になり、トルコの脅威を考慮して、生産速度を上げるために新たな部門や組立ラインの設置が必要となりました。また、街で最初のルネサンス建築の例となった「ランド・ゲート」の建設も行われました。
アルセナーレとイタリア海軍の関係
今日のアルセナーレにはイタリア海軍の基地があり、過去のヴェネツィアの海洋進出の象徴的な場所の一つとして、非常に尊敬されています。この建物の中には、海軍の重要なトレーニングセンターであり、文化の中心でもある海軍海洋学研究所があります。
アルセナーレの海軍士官は、他の民間の学生や、他の同盟国の海軍士官とともに、ヴェネツィア・カフォスカリ大学が共同で運営している戦略・国際安全保障研究の修士課程に参加しています。
教育的・文化的側面に加えて、アルセナーレは、現在、イタリア海軍の2隻の艦船(アレトゥーサ艦とポンザ艦)が恒久的に係留する海軍基地となっています。ひとつは、海図や海事資料を作成するための調査を行う海洋調査船で、ポンザ船のほうは灯台や海事信号のサポートをする目的があります。
この活動に加えて、イタリア海軍は2年に1度、世界で最も重要な海軍外交イベントの1つである国際海洋シンポジウムをアルセナーレで開催しています。前回の開催では、世界各国の海軍のトップや代表団、20の国際機関が参加しました。このイベントでは、海洋安全保障と国際情勢をテーマにして、議論が行われます。
海軍歴史博物館の逸話や秘蔵品
アルセナーレの近く、サン・ビアージョ広場には海軍歴史博物館があり、まさにアルセナーレの造船所で作られたセレニッシマ共和国の海軍力の栄光と象徴がを保存されています。5階建て、42の展示室と4000平方メートルの展示スペースで構成されるこの博物館は、海洋分野では世界で最も美しく充実した博物館の一つとされています。セレニッシマの穀物倉庫があった場所の一つに建てられており、そこではかつて「ビスケット」と呼ばれる種類のパンが生産されていました。
セレニッシマ共和国の偉大な海の伝統と近代海軍の歴史を物語るものや逸話や証言の中で見逃せないのは、「ブチントーロの模型」を保存している部屋です。ブチントーロは、ドージェ(*)が「海との婚礼の祭典」を祝った代表的な船です。ここには、ナポレオン(*)の手を逃れた「ブチントーロ」の唯一のオリジナルの一部が展示されています。それは、に船上にヴェネツィア旗を掲げた木製のポールです。
(*)翻訳者注: ドージェはイタリア語でのヴェネツィア共和国の元首
(*)翻訳者注:ナポレオンとの関係を深く知るには、「ヴェネツィアの歴史」の記事を読んでください。
博物館のエントランスホールには、18世紀後半に活躍したセレニッシマ共和国最後の偉大な船長、アンジェロ・エモ提督のためにアントニオ・カノーヴァが彫刻した記念彫像があります。また、ヴェネツィア海軍とイタリア海軍の伝統を引き継いだ証として、第二次世界大戦で海軍の急襲部隊が使用した、いわゆる「豚」と呼ばれる低速魚雷が展示されています。
15世紀から19世紀にかけての海をテーマにした貴重なコレクションなど、それぞれに興味深い歴史を持つ宝物がたくさんあります。海の国の伝統を伝える素晴らしい博物館は、一般公開がついに再開されました。
また、パディリオーネ・デッレ・ナヴィ(船のパビリオン)も見逃せない場所です。かつてのオール工場で、現在はヴェネツィア海軍歴史博物館の約2000平方メートルの展示ホールのひとつとなっています。その歴史が16世紀さかのぼるパディリオーネ・デッレ・ナヴィには、セレニッシマ共和国の最も古い代表的な船が展示されています。漕ぎ手18人乗りの巨大ゴンドラ「ディスドトーナ号」、1930年代の当時としては画期的な燃焼方式で時速150km以上の世界記録を樹立したモーターボート「アッソ・バリエット号」、グリエルモ・マルコーニがイタリア海軍と共同で無線電話の実験を行なった「エレットラ号」の一部、19世紀に建造されたイタリア王室がヴェネツィアを訪問する際に使用した豪華な儀礼船「スカレ・レ