隠されたヴェネツィアの宝石: スカラ・コンタリーニ・デル・ボヴォロ

4 August 2021

それを見たいと思ったら、それを探さなければならない。見つけた後はいつも驚きの表現が出る。ヴェネツィアの方言で「螺旋階段」という意味を持つ「スカラ・デル・ボヴォロ」は狭い通りの中に「引っ掛かかる」ように位置している。そのインパクトは息を吞むほどで、ヴェネツィアで人々に愛される場所の一つである。

コンタリーニ・デル・ボヴォロ宮殿の由来は14世紀で、建物の裏には運河がある。元々はヴェネツィア方言で保管場所を意味する「フォンテゴの家」として建てられたとエドアルド・リッゾィが説明する。

15世紀の終わり、ピエトロ・コンタリーニはこのような優美な階段を持つことを強く望んでいた。彼はサン・パテルニアンの分家で、力の強いコンタリーニ家の子孫だった。14世紀に同じ分家に属したアンドレア・コンタリーニがヴェネツィア共和国「セレニッシマ」のドージェ(*)だった。
(*) 翻訳者注:ドージェとは イタリア語でのヴェネツィア共和国の元首

リッゾィは、こう続けた。「ピエトロ・コンタリーニは、ヴェネツィアにひとつしかないものが欲しかった。だから、このような階段を強く望んでいた。当時、ヴェネツィア共和国では、政治的な平等を維持するために、貴族たちは華美な物を作ることが禁止されていた。それにもかかわらず、コンタリーニ家は、ルネッサンスとビザンチンの影響を残すこの螺旋階段を作ることができた。」

この階段の建築はとても優美で、ヴェネツィア人は非常に驚いた。そして「ボヴォロ」という名はコンタリーニ家を指すほどになったのである。

5世紀間にわたるこの宮殿の歴史の中で、不思議な事が多くある。例えば、装飾で彩られていたのは建物の正面ではなく、裏側であった。なぜ不思議なのかというと、その当時、貴族は自らの宮殿の正面を豪華に表現する習慣があったからである。しかし、コンタリーニ宮殿の正面はリオ・サン・ルーカに面している。政治の中心であったサン・マルコ広場を見下ろす方向のほうが、更に大事であるはずなのに、それは宮殿の裏側にあたるのであった。螺旋階段を作り上げるために、この装飾は、螺旋階段を建設するために犠牲となり、消されてしまったのだが、今でも壁に小さな跡をみることができる。

その他、ヴェネツィアの素晴らしい景色を眺めることができる丸屋根の楼もある。そこで、ドイツの天文学者のテンペルが、初めてC/1859という彗星やプレアデス星団のメロぺ星雲を発見した

前世紀においては、「マルタ人」と呼ばれたアルノー・マルセイユが、この宮殿を「ロカンダ・デラ・スカラ」(翻訳者注:イタリア語ではしごの宿屋)という宿屋にし、実際に現在、宮殿がある通りは同じ名前で呼ばれている。

1849年のドメニコ・エメリの遺言によって、この遺産は教会の貧しい人々を支援した「サン・ルカの貧しい人」という共同体に譲渡された。その時から、この建物はヴェネツィアの公的支援機関であるIPAVと緊密な関係を持つようになり、現在「スカラ・デル・ボヴォロ」はヴェネツィア自治体と共にIPAVが所有している。

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