集合的記憶に残った電車。そして、無名兵士の亡骸の片道の旅。その電車はアクイレイアからローマまで120駅に停車し、全ての人は電車に乗せられた無名兵士に敬意を表して帽子を脱ぎ、花を投げることができるように、非常に低速で通過しました。第一次世界大戦で650万人以上の死者や不明者を思いだすための象徴的な旅。
100年間を経ちましたが、イタリア人の記憶はまだ生々しいです。1921年10月29日、朝8時にアクイレイア駅からその電車は出発し、ローマまで無名兵士の亡骸を運ばれ、メストレとヴェネツィア駅にも通過しました。電車が5分で各駅で停車し、陸軍大臣は通過した時に沈黙を命し、演説することを禁止でした。
感動させる旅、そして悲哀でイタリアを1つになった旅。今年も、100年前と同じく、愛国への犠牲の象徴になったその無名兵士に敬意を表すために、もう一度この旅は設けられました。この旅に関して、一人の女性は大変な役割を果たしました。実際に、トリエステ出身のマリア・ベルガマスはイタリアの全ての母親の悲しみの象徴として、戦闘で亡くなった身分不明兵士の11つの棺桶の中で1つだけを選ぶという任務を与えられました。その母親が泣きながら選んだ棺桶は「無名兵士」として考えられたようになりました。
このオーク材の棺桶は建築家グイド・チリッリが設計した山車のようなワゴンに乗せられ、1921年11月4日にローマ駅に到着し、第一次大戦の全ての戦争墓地を象徴するヴィットリアーノ記念碑に埋蔵されました。
休日ではないものの、イタリアに1919年以来11月4日は祝日と考えられ、この日に前線で自分の国の自由のために亡くなった兵士を思い出されます。
(*)翻訳者注:
無名兵士は第一次世界大戦に亡くなり、ローマのヴィットリアーノ記念碑に埋蔵された兵士です。この兵士は身分確認できなく、様々な兵士の中で選ばれたため、彼の実際のアイデンティティーは現在も不明ですが、象徴的に第一次世界大戦でイタリアの全ての死者や不明者を表します。
ヴィットリアーノ記念碑は1921年11月4日以来、毎年公式が行う場所になり、イタリア共和国大統領をはじめ、もっともイタリア国家の大事な任務は無名兵士に敬意を表します。