スパイスとは、食べたり、香りづけをしたりするためだけのものではなく、過去には香水や治療法としても使われていました。ヴェネツィアがセレニッシマ共和国だった時代、香辛料貿易は最も重要な収入源でした。実際に、何世紀にもわたり、ヴェネツィア共和国はこの貿易を独占していました。主要な港に寄港地や植民地が多くあったアジアから輸入し、ヨーロッパに再輸出しました。
「香辛料はヴェネツィアだけではなく、ヨーロッパ全体にとって、最も大事な商品のひとつです。香辛料は、中世の文化や経済の特色であり、ヴェネツィアを偉大にさせるものです」とガストロノミー(*)の歴史家カルラ・ココは語ります。シチリア島出身で、長年ヴェネツィアに住むココさんは、こう続けます。「香辛料はかつて大事な商品だったし、現在もそうです。料理、栄養学、薬学、香水や石鹸の作るためなど、色んな分野で使われていました。基本的には、種子、樹皮、花、小さな果実といったアジアのもので、ほとんどは乾燥させて利用されていました。」
(*)翻訳者注:美食学
商業活動を重視したヴェネツィアは、当初からその重要性を理解し、香辛料貿易に注力しました。「ヴェネツィアはこの貿易を賢く管理し、あらゆることをよく配慮されていました。実際に、1204年初頭には、もうアルセナーレ(ドック・造船所)がすでにあったので、自分たちで船を建造することができました。そのほか、13世紀後半に海洋法を整理し、商人の安全のため、「ムデ」という護衛を持っていました。その護衛は旅のスケジュールに従って、決まった日付に出発し、アジアと北アフリカの様々な寄港地に赴きました。そこで、ヴェネツィア人たちは、アジアからの香辛料を持ってきた商人と会い、売買をしていたのです。当時、香辛料の使用量は莫大なものだったので、香辛料は軽くても、非常に高価でした。ヴェネツィアに戻った後、商人はリアルト市場で関税を払い、香辛料をヨーロッパ中に転売しました。もちろん、ヴェネツィアが必要な分は、売らずに持っていました。」
化学が発展するまでは、香辛料とハーブでの薬が作られていたので、セレニッシマ共和国は薬の生産においてもリーダーの役割を果たしました。「薬の中で、ヴェネツィアが注力したのはトリアカという薬でした。それは非常に特徴的で、香辛料や毒蛇の肉など62種類の材料で作られ、万能薬のように考えられていました」、ココさんが語ります。「ヴェネツィアはトリアカを大量に作るだけでなく、当時の世界で一番高品質なトリアカを作りました。当時、様々なトリアカ薬局があり、その薬局だけがトリアカを作ることができました。さらに、作り方が正確かどうかを確かめるために、当局からのチェックもありました。そしてヨーロッパ中で販売されました。」
忘れてはいけないのは、香辛料は料理にも使用されているということです。特別なのフレーバーを付けるためだけではなく、栄養学的観点からも大事でした。実際に、中世の時代には、料理と栄養学の間に密接な関係がありました。「当時、食べ物の好き嫌いが多くあることは悪るい性質だ癖と思われていたため、それをなくすために香辛料が料理に使われただけではなく、スパイス入りのワインも作られました。また、香辛料の砂糖漬けも、食事の後に食べられていました」とココさんは説明します。「香辛料はもともとヨーロッパのものではなかったので、料理のために使用するのは難しいものだとヴェネツィア人は分かっていました。そこで、興味深いマーケティング戦略をとったのです。すぐに使えるように香辛料を小さな袋に入れたものを作って、それをヴェネツィアの袋と呼び、販売したのです。」
この小さな袋には3種類がありました。ひとつは肉に合うような強くて黒い香辛料、もうひとつは魚介類に合う甘くて控えめな香辛料が入ったものです。最後に、彼らは商人だったので、何の料理にも合う万能の香辛料ミックスもありました。それだけでなく、ヴェネツィア人は興味深い文化的な作用ももたらしました。料理と栄養学は密接に関係しているという原則に従って、ジャンボニーノというアラブ系の食の医者を雇い、1271年には、彼にヴェネツィア共和国市民権を与えました。そして、香辛料をどのように使うのか、何に役立つのか、どの病気が治せるのかを明らかにし、理解できるようにするために、ジャンボニーノにアジアの有名な医者が書いた本の翻訳と改訂を依頼しました。その依頼により、ジャンボニーノは13世紀の終わりに、ヴェネツィア料理に関して最も古いと考えられている本を書きました。
例えば、私たちが今でも毎日食べる「サルデ・イン・サオル」(翻訳者注:玉ねぎに覆われた揚げイワシ)は1300年当時、すでに食べられていたもので、香辛料も入っていました。実際は1300年のヴェネツィアの料理には、30から40種類の香辛料が使われていました。
非常に貴重で高価だった香辛料は、16世紀末まで自分の豊かさをを見せびらかすために貴族たちに使用されました。その後は、香辛料の使用は衰退していきました。
「なぜ香辛料の使用は衰退していったのかというと、アメリカ大陸の発見によってポルトガル人たちが、その貿易によりヨーロッパに香辛料を氾濫させたため、もうステータスシンボルとして考えられなくなったからです。そして医学的知識が拡大したこともあります。また、明らかな理由がなかったとしてもヴェネツィア人は香辛料を使わなくなっていきました」。ココさんは最後に語ります、「ヴェネツィア料理は1600年代と1700年代に香辛料を使用しなくなり、1800年代と1900年代には、コショウとシナモンという主要な香辛料しか知られていませんでした。しかし、この20年間に何かが変わりました。なぜかというと実際に、単なる迷信ではなく、香辛料は体に良いものだということが確認されたからです。それとアジアから来た外国人コミュニティの存在が多くなったため、料理に再び多く使用されるようになりました。近年、再発見された香辛料はジンジャー、ターメリック、シナモン、クローブ、スターアニス、コリアンダー、そしてもちろんサフランです。特にサフランは主にイランやトルコで生産されていますが、イタリアでも栽培できる唯一の香辛料です」。