ヴェネツィアの歴史あるレガッタレース

14 September 2021

9月5日の日曜日にヴェネツィアの歴史あるレガッタが戻ってきます。このイベントは最も古いイベントのひとつで、今年はヴェネツィア建国1600年を記念して、さらに重要なイベントになります。

昔は漁師の間にも競争がありました。実際に、毎日夜に仕事を終えた後、特徴的な"voga alla veneta"(漕ぎ手が船首、つまり進行方向を向いて漕ぐこと)のために準備した船で、獲れた魚とともにリアルト市場に向き、一番のりになるために競争しました。なぜかというとリアルト市場に早く到着できれば、最高価格で漁獲を売買できる可能性があったからです。

重要なイベントや、宗教的なお祝いのために開催されたレガッタに関して一番古い情報は、13世紀後半以降に遡ります。

手漕ぎボートのレースに関する最初の記録は1274年に遡ります。つまり、ヴェネツィア共和国「セレニッシマ」は、ヴェネツィア人の体力と航海技術を賞賛する、このようなスポーツイベントを13世紀にはすでに推進していました。

その後、1315年に上院がこのレースの開催を取り締まるようになってから、スポーツの楽しい側面とフェスタ・デレ・マリエの記念日という宗教的な側面を結びつけるようになりました。このようにして、このイベントは街の誇りと威信の源となるようなユニークな光景を作り出し、地中海の最も強力も影響力を持つ海洋共和国の優位性と裕福さのの一つの証となりました。

レガッタが描かれた最も古い画像は、16世紀に描かれたヤコポ・デ・バルバリの有名な「ヴェネツィアの眺望」です。当時、このレースは4人の漕ぎ手を乗せた船を使って、リド島とサン・マルコ広場の間のラグーンで行われていました。

1797年のヴェネツィア共和国の崩壊後、フランスの占領、オーストリアの占領、そして2つの世界大戦といった複雑な歴史的出来事にもかかわらず、この歴史的レガッタはヴェネツィア人が捨てずに、当時からずっと守り、現在も維持してきた重要な風習として生き続けています。

しかし、最初の「近代的」レガッタの起源と考えられるのは1841年ですが、競争する船の数も色も違っていました。イベントの費用は民間ではなく、公費負担になりました。実際、その年からレースは現在のような形になりました。すなわち、オーストリア当局の権限の下、ヴェネツィア市が主催し、カナル・グランデで「ゴンドリエーリが、自分たちの器用さを維持できるよう奨励する」ために実施されました。

しかし、19世紀から20世紀の前半においては、レガッタがカナル・グランデにおいて一定の頻度で行われたということはなく、重要なイベントの際にだけ開催されていました。例えば、1856年のレガッタは、オーストリア・ハンガリー帝国のフランツ・ヨーゼフ皇帝とその妻シシィの訪問を記念して開催され、1866年のレガッタは、ヴェネト州がイタリア王国に併合されたことを記念して開催されました。そして1892年に行われたものも、第一回ビエンナーレ(国際美術展)に合わせてでした。

1899年に開催された第3回国際アートビエンナーレの際に市長のフィリッポ・グリマーニが提案し、このレガッタレースに「歴史的」という意味合いが加わるようになりました。

1922年以降、歴史的レガッタは毎年、ヴェネツィアのコムーネ(自治体)が組織して、開催されています。世界大戦の影響により、1939年から1946年の間に、唯一の中断がありましたが、戦争の真っ最中であった1942年には、19世紀末を舞台にしたチェスコ・バセッジョ主演の映画『カナル・グランデ』で使用するために開催されました。

ゴンドリーニ(*)という伝統的レガッタレースは、男性に限られたものですが、長年にわたり、それに加えて、他のレースも開催されてきました。例えば、1951年からは6本の帆がある。カオルリーネ(*)のレース、1976年からは若者のためのレース、1977年からは女性のためのレース(ただしこのレースは1953年と1954年にもすでに開催されていました)があります。

1年間にわたり行われる予選の後、各レースに9隻が参加し、「旗」をめぐって競い合います。1番目の船には赤い旗、2番目には白い旗、3番目には緑の旗、4番目には青い旗というように分けられています。

*ゴンドリーニとはヴェネツィアのレガッタのための船ですが、普通のゴンドラから形をとっているのに、形のバランスも性能もそれとは異なるヴェネツィアの船です。

*カオルリーナ船(単数形)とは、完全に対称的なフォルムを持つ輸送船です。丸い形の船首や船尾があり、その名前の由来はカオルレ市にあります。その船のタイプは用途に応じて様々ありますが、現在はレガッタ用のカオルリーナ船のみが残っています。

色々ななタイプのレガッタレースにも、重要なポイントや基本的な目印があります。まずは、スタート地点に位置するサンタ・エレナ庭園前に張られた「スパゲト」(紐)です。そして、サンタ・ルチア駅前のカナル・グランデの真ん中に設置された「パレト」と呼ばれる棒、これは伝統的に勝敗が決まると信じられている場所にあります。そして「マキナ」という大きな浮ぶ施設です。それはカ・フォスカリ大学の前に位置し、金色の豪華な彫刻も多くあり、競技終了の際に、賞品として賞金と旗が授与される場所です。

この日の最も目立つ特徴的なこととして、歴史的なオープニングパレードがあります。それは第二次世界大戦後から開催されています。1489年にキプロス女王カテリーナ・コルナーロが、ヴェネツィア共和国「セレニッシマ」のために自発的に王位を放棄、これによりキプロスをセレニッシマ共和国に正式に併合させたという歴史的出来事を記念しています。

このパレードには16世紀の色とりどりの典型的な船が多くあり、その船にドージェ(*)、ドージェの妻カテリーナ・コルナーロ、ヴェネツィア共和国の高官たちを乗せています。このようにして、地中海で最も強力で影響力のあった海洋共和国の輝かしい過去の瞬間を忠実に再現しているのです。

*ドージェ: 「セレニッシマ」ヴェネツィア共和国の元首です。