(*)カンピエッリとはヴェネツィア方言で小さな広場を意味する。
2021年9月14日、ヴェネツィア ― ヴェネツィアには、その呼称に大きな誤りがある場所があります。カステッロ地区にあるサンタ・ジュスティーナ広場(ヴェネツィア方言で、広場は「カンポ」と呼ばれる)です。その広場は、デ・バルバリアとも呼ばれています。が、しかしながら、ナポレオン時代とオーストリア時代につくられた登記簿の公図にしたがえば、サンタ・ジュスティーナ広場(ヴェネツィア方言で、広場はカンポと呼ばれる)は、「実はカンポ(広場)」ではなく、「カンピエッロ(小さな広場)」と呼ばれるべきなのです。
これは『ヴェネツィアはカンピエッリの中に』という本に書かれた興味深い記述のひとつです。この本の調査結果は、ヴェネツィア生誕1600年を記念して開催されている展示会でも、公開されています。展示会は、『ヴェネツィアはカンピエッリの中に』に収録された写真のうち、もっとも代表的な10枚(地区と島ごとに1枚ずつ)を大型で印刷し、展示しています。
著者のジョルジョ・クロヴァトとフランコ・マンクーソは、この本で、フランコ・ヴィアニエッロ・モーロの写真を使いながら、ヴェネツィアの小さな公共スペースを、カタログ化し、研究しています。それは、つまり、生活の主役であるにもかかわらず、これまでほぼ調査されてこなかったヴェネツィアの一面でもあります。実際に、その起源が示すように、カンピエッリは、ヴェネツィアの歴史的・都市的な変遷を明らかにしてくれます。
例えば、人々がよく訪れるカンピエッロ・デル・ティントル(翻訳者注:ヴェネツィア方言で「画家の広場」と意味します)は、古くからの商売やなんらかの施設の存在を示しています。また、それだけではなく、著名人信仰の尊重、他のコミュニティへの配慮や歓待などを明らかにしている場合もあります。この『ヴェネツィアはカンピエッリの中に』という本は、あまりよく知られていないヴェネツィアについてのガイドです。地名をきっかけにしてその歴史と由来を、読者が自分で組み立て直していけるよう手伝ってくれます。
著者たちは、ジュリオ・ロレンゼッティによる有名なガイド本を出発点とし、ヴェネツィア市役所が持つ公的な地図と、ナポレオン時代およびオーストリア時代の公図を比較しながら、カンピエッリの調査をしました。現在では、その数は、ムラーノ島、ブラーノ島、ペッレストリーナとリド島を含む、217所のカンピエッリに上ります。
各カンピエッロを撮影、調査してきましが、本の発売のイベントでヴィアニエッロ・モーロも述べたように、カンピエッリの撮影は簡単なことではありませんでした。カステッロ地区にあるカンピエッロ・デラ・ピエタやサン・ポーロ地区のカンピエッロ・デラ・マドンナのようなところは、幅が数メートルしかないので、撮影のフレーミングに多くの選択肢はありません。そして、それだからこそ、調査作業の重要性があります。例えば、現在、袋小路になっているような場所を、ナポレオン時代とオーストリア時代の公図でみると、より広い空間として記録されていることがあるからです。