2021年6月15日、ヴェネツィア
日出ずる国、すなわち日本まで続く道は、卵、牛乳、小麦粉、バターの匂いがする。ヴェネツィアから日本へ、何世紀もの伝統を経て。ヴェネツィアが世界中で愛されていることは事実だ。しかし、その代表的なスイーツが評価され、小樽にヴェネツィアの名前を付けた洋菓子店が誕生したのは面白い話なのである。
その話は師匠フランコ・コルッシにとって普通なことだ。現在86歳のフランコ・コルッシさんは、「ノノ」(ヴェネツィア方言でおじいちゃん)という愛称で呼ばれ、毎朝、アカデミアの橋や有名な「ポンテ・デイ・プニ」のすぐ近くにあるドルソドゥーロ地区の厨房で、「セレニッシマ」(ヴェネツィア共和国)の伝統的なお菓子を手作りしている。あの時と同じように、今日も。
フランコさんは、日本語が書かれたパティシエの帽子を誇らしげにかぶっている。2013年に小樽でヴェネツィアの伝統的なお菓子の専門店をオープンした緒方フランチェスカ江里さんのことを思い出して微笑む。
「彼女はたぶん、先生の助けを借りながらイタリア語で手紙を書きました。私の仕事を手伝いたいと書いた手紙が何通も厨房に届いていたんですが、私は一度も返事をしませんでした。ある時、私はうんざりして、厨房が小さすぎてスペースがないと答えたんです。彼女はどうしてもと言って、外から見てもいいかと聞いてきたので、ついに私はOKと言いました。」
「彼女は毎日5時になると、ルンガ・サン・バルナバ通りにある店のドアの外に現れました。最初の日、彼女は外で4時間ほど立っていましたが、妻が中に入れてあげようと言ったので、中に入れて隅に座らせたんです。彼女は私の手の動きまですべてをメモしていました」と懐かしそうにフランコさんが語っている。「なぜ写真を撮らないのか」と聞くと、撮ってもいいかわからなかったからと彼女は答えました。その後は、2台のカメラを持ってきて、すべてを撮影しましたね。彼女は「わたしたちのクッキー」を作る方法を学び、「カフェ旅情&Frances'Ca」というヴェネツィアの洋菓子店をオープンしたんです。今でも連絡を取り合っていて、私も日本に行ったことがありますが、彼女は本当に素晴らしい女性ですよ。フォカッチャも作っているのは知っているが、まだ食べたことはないんです」。
緒方フランチェスカ江里さんがフランコ・コルッシ菓子店に初めて入ったのは、サッカー選手の中田英寿がペルージャに入団したことで興味を持ち、2003年にイタリアに観光旅行をした際だった。
「事前に【暮らすように旅するイタリア】という本に、師匠フランコの店が掲載されていたのがきっかけです。旅行のテーマを【伝統地方菓子】に決めて、ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ローマの伝統菓子を食べ歩ていました。
それぞれの街で、美味しい伝統菓子に出会ったが、日本に帰ってから、もう一度食べたいと、思ったのは、師匠フランコの【フガッサ】でした。日に日にフガッサへの想いが高まり、「学びたい!」と強く感じ始めて、覚悟を決めて、依頼の手紙を書くことにしました。何通か書いたところで、返事を頂きました。内容は、手紙への感謝。そして、ヴェネツィアに来てもらっても、厨房にいれることや教えることはできないという丁寧な詫び状でした。
私は師匠フランコにとっては会った記憶もない異国の人間だから、断りは当然でしょう。しかし、私は諦める事が出来ず、ヴェネツィアに行ってお願いするしかないと、手紙を書き続けながら、ヴェネツィアに行く方法を模索しました。」とのことだった。
緒方フランチェスカ江里さんは、予算が少なく、観光ビザで3カ月の滞在という状況の中で、強情に冒険を始めた。「小樽は私の故郷であるとともに北に位置し、発酵菓子作りに適しています。また、小麦、乳製品は日本一のクオリティなのです。また、小樽はヴェネツィアと姉妹都市ではないが、硝子工芸が盛んで、小さな運河もあり、なんと言ってもヴェネツィア美術館があります。だから、北海道、そして小樽で店をオープンさせた経緯があります。」と、緒方さんは語る。
師匠フランコ・コルッシの厨房
厨房を覆う香りは、ネズミにとっての魔法の笛のようなものだ。ルンガ・サン・バルナバ通りを歩き始めた途端に、間違いなく、五感が活性化され、鼻が跡を追うようになる。生き生きとした青い目、優しさ、そしてまるで自分の家にいるように感じさせる力を持っているフランコさんは、そこにいる。
中には、コルッシ家の3世代を代表する3人がいる。1956年に厨房を開設したフランコさん、娘のリンダさん、そして孫娘のマリーナさんだ。マリーナさんは、高校を卒業した後、29歳から祖父のそばで10年間働き、今ではヴェネツィアのお菓子作りの秘密をすべて知っている。
「学校の帰りに遊園地みたいな遊び場だと思って厨房に来ていたのかと思っていたら、実はその後家に帰ってちゃんと宿題をしていたんですね」と笑顔で話していた。「10年前、バルバリゴ学校でパティスリーを教えていたから、知らず知らずのうちに彼女にパティスリーへの愛情を2・3回注入していたんですよ。そして、ある日の誕生日、彼女はただのプレゼントではなく、プラネタリーミキサーを欲しいと言ったんですよ」と話す。
フランコさんが話している間、細長い生地を手で切るのをやめない。そのパンから、おそらく最も有名で最も広く輸出されているビスケット、バイコーリが作られている。
「わたしたちはサワードウ酵母(*)を使ってバイコリーを作っています。これはリエビト・ディ・ビラ(翻訳者注:イタリアによく使われているイーストの一種)が発明される前にやっていたのと同じ方法です。そして、手で切るやり方をずっとしています」と語る。
(*)翻訳者注:サワードウ酵母は近年、食品技術の進歩やビール酵母の入手が可能になったことで、サワードウの使用は大幅に減少しました。しかし、サワードウ酵母はより実用的なビール酵母とは異なる香り、味、食感を与えることから、最近になって特にイタリアの食品業界で一定の重要性を取り戻しています。(MyPersonalTrainerよりLievito Madre)
「バイコーリを作るためには、ヴェネチアのフォカッチャ「フガッサ」を作るのと同じように、30時間かかります。でも、ただ練って放置するだけではなく、3時間ごとに見てあげたり、甘やかしてあげたりしなければならないんです。」
酵母は非常に古いもので、どのくらい古いかは確定できないが、フランコさんがムラーノの「ボニファシオ」でパティシエとして働いていたときに使っていたものと同じものである。昔の師匠から商売を始めるときにプレゼントされた小品なので、年齢をつけるのはとても難しい。
ヴェネツィアの伝統的なお菓子
コルッシ菓子店はフランコさんが言うように「古いもの」を専門としている。数は非常に少ないが、ヴェネツィアの伝統的な製品のみを作っている。
ここでは、ザレッティ、ムラーノのブッソラフォルテ、サヴォイアルディ、ブラネリ、アマレッティ、ペヴァリーニ、さらにはバイコーリ、フォカッチャ、小さなスプミグリなどを見つけることができる。フランコさんの説明によると、昔はそのお菓子はキプロスワイン(リキュールワイン)やクリームに漬けていたので、どれも乾いたスイーツなのである。
ヴェネツィアの菓子職人は古くから評判だ。1493年には、彼らは「スカラテリ」という団体としてまとまり、独自のマリエゴレ(法令)を持つようになった。名前の由来には2つの説がある。ひとつは典型的なスイーツで、生地が重なり合ってはしご(イタリア語でスカラ)のようになっていたからというものである。もうひとつはオーブンの高さが今とは違っていて、穴が開いており、外に出るには飛び降りなければならなかったため、ある時点ではしごを穴に差し込んだから、という説である。
ヴェネツィアの「フガッサ」
デザートで言えば、ヴェネツィアはフォカッチャが世界的に有名である。フォカッチャはパネトーネやパンドーロとは違い、柔らかく、フランコさんが言うように、まるで食べていないかのような感覚になる。また、この生地のおかげで数日はそのままの状態で保存できる。「でも、日持ちしないんですよ。信じてください、食べ始めるとすぐに食べ終わってしまうんです」と彼は微笑む。
フランコさんが説明するように、量の問題ではない。なぜなら、量は世界中のすべての本に書かれているし、インターネットにも書かれている。
「投与量は音楽の楽譜のようなものです。バッハでもショパンでもベートーベンでも、楽譜を見て演奏していたが、多くの人は音と音の間にある空間が音楽であることを知らない。詩と同じことですよ。句読点がない状態で読むと価値がない。もっと身近な例で考えてみましょう。ひとつの毛糸玉とと2本の編み針、10本の縦の縫い目と10本の横の縫い目。私にはあるものができあがり、彼女にはまた別のものができあがります。また、音楽に話を戻すと、楽譜とバイオリンを手に入れても、ウート・ウーギやパガニーニのようには弾けはしないですよ。」と語る。
日本にある「カフェ旅情&Frances'Ca」 でもお客様から一番愛されているイタリアのお菓子はフガッサである。「皆さん、フォカッチャ・ヴェネツィアーナではなく、フガッサを愛しています。このお菓子を覚えるために、10年ヴェネツィアに通ったので、一番情熱を込めて作っています。師匠フランコの格言をいつも胸に。」
ヴェネツィアの「フリッテッレ」
フリッテッレは、ヴェネツィア人の最も人気のあるデザートだった。今ではカーニバルの時にしか食べられないが、かつては歓談の場でも作られていた。「結婚式や婚約、誰かが訪ねてきたときなど、フリッテッレは良いことの証であり、パーティーのクライマックスだったそうです。そして、ボールの形のフリッテレの方が伝統的なものだと思われていますが、ヴェネツィアのフリテッラには穴があるものなのです。」とのこと。現在、フリッテッレは地元でも全国的にも愛されているが、海外ではフォカッチャに人気を追い越されている。
師匠フランコからの秘訣
「美味しいケーキを作る秘訣は、自分が好きになることですよ。パティシエになってから75年になるが、いまだにケーキを食べ続けていますからね。」と師匠フランコは結論づけている。「何にでもちょっと吐き気を感じるようになった私ですら好きなんだから、きっとお客さんも好きだということですよね。そして、美味しくなるためには、しつこくてはダメで、軽いものでなければならないんです」。