ヴェネツィア共和国の魔女:セレニッシマから追放された女性の物語

3 December 2021

呪い、死刑囚の血、自家製の恋愛の魔法薬。中世のキリスト教の異端審問による、その儀式を施した女性は魔女、占い師と考えられました。その儀式を認められていなかったため、その女性たちは刑罰として耳の切断、鞭打ち、都市からの追放などの拷問を受けました

しかし、ヴェネツィアで魔女は火あぶりの刑に処せられなかったのです。このようなことに関しても、ヴェネツィア共和国「セレニッシマ」はキリスト教の異端審問より公正を表しました。

今年誕生から1600年記念を祝うヴェネツィアは「セレニッシマ」共和国だった時、ヴェネツィアの国立アーカイブから魔女についての物語は多く出てきます。実際に、1500年代のわたり、呪い、魔法、迷信などの罪で1600件以上の裁判が行いました。サン・マルコ広場で位置した異端審問で刑に処され、罰や拷問はサン・マルコ広場の2本の桁の間で公開に行いました。しかし、ほとんどの既決囚は愛の魔法薬やおまじないを尋ねられた売春婦でした。このように、ヴェネツィアの観光ガイドマヌエル・メネゲルが説明します。

「カンナレジョ地区に位置するユダヤのゲットー(ユダヤ人居住区)は『クラビコラ・サラモニス』のような黒魔術の本を普及するために、大変な役割を果たしました。異端審問の書類のおかげで私たちは魔法で告訴された女性の家を位置づけることができました。裁判されたので、彼女たちの名前も知っています」とメネゲルは説明します。魔女と考えられた女性の中で、娼婦であったエミリア・カテナは赤ちゃんの死体に黒魔術の儀式を施したと訴えられました。彼女はその告訴を打ち消しましたが、猫に黒魔術の儀式を施したと認めましたので、都市から追放されました。1680年代に、エミリアは自分の収入の一部を本土の土地や畑の購入するように投資し、16世紀のヴェネツィアに珍しい女性の農業起業家となりました。ヴェネツィアの有名な詩人であったヴェロニカ・フランコも同じ告訴で裁判されましたが、結局無罪になりました。「16世紀の裁判の資料に魔女は霊の執り成しだけではなく、聖人の霊も求めたということを記録されています。そして、魔法はムラーノ島に特につながっているようです。」メネゲルさんは説明します。

ドルソドゥロ地区と関係ある魔法の伝説も多くあります。例えば、カッレ(*)・デラ・トレッタにある目覚まし時計の伝説があり、そこで住んでいた魔女が現在も儀式を施した時間に止まっていると言われています。亡くなった後は彼女の家に幽霊がありそうで、その中から変な音を聞こえたり、変な現象が現したりしたと言われていたので閉鎖され、廃墟になりました。同じ伝説による、同じカッレに働いていた理容師はその建物に目覚まし時計をかけるように頼んで、その時から奇妙な出来事が起こらなくなりました。その目覚まし時計の除去された数年間後、黒魔術の現象が再発しましたため、新しい目覚まし時計は設置されたと言われています。

(*)翻訳者注:ヴェネツィアには「通り」は「カッレ」と呼ばれています。そのため、カッレ・デラ・トレッタは「トレッタ通り」という意味します。