サン・ミケーレ島に壮大なブナの木は墓地にある死者を167年前から見守っている

26 November 2021

柳のように、枝の先端が地面に触るから「泣きブナの木」と呼ばれています。約2世紀にわたり、古いブナの木はサン・ミケーレ島の死者を見守っています

ヴェネツィアの記念碑的墓地があるサン・ミケーレ島に、複雑な計算による167年前に植えられたブナの木があるということを知っている人は少ないです。高さは12メートル以上で、枝葉の突起の直径10メートル、根の長さは3メートル以上になります。この木の長寿と威厳のため、歴史的にも文化的にも重要なものだと思われ、ヴェネツィア市役所とヴェリタスというヴェネツィアの水道と自然環境を管理する会社から常に監視されています。半年に一度、構造的特徴や植物の状態に変化がないように調査されています。その後、イタリア全国の全て最古の木を監視している農林水産省にこのブナの木の情報も伝えられます。このブナの木は、ヴェネツィアの墓地に最適な環境条件を見つけ、ゆっくり成長しています。現在、自然的にその場所を取り、まさにヴェネツィアの墓地の一部になったほど、そこに埋っている数多くの外国人とヴェネツィア人を見守っているようです。1800年代半ばに植えられたこのブナの木は、長年にわたりずっと墓地の建設だけではなく、都市のすべての変化の静香な観客でした。

死と生命の場所であるサン・ミケーレ島は、ヴェネツィアの墓地に眠る20万人以上の死者の物語を集め、見守っています。今年、建国から1600年間を迎えたこの都市を愛するヴェネツィア人も外国人も、自分の永遠の休息のために、この場所を選んだのです。そして、プロテスタントやオーソドックスなど異なる宗教を信仰した人々が埋蔵されているため、それはヴェネツィアの寛容を証明しています。

1804年にナポレオン布告により、衛生上の理由で埋葬は街の中心部以外にされていたため、墓地は元々サン・クリストフォロ島に位置していました。しかし、墓地が完成した直後、1813年にスペースが不十分で、サン・ミケーレ島に移動されました。

サン・ミケーレ島は、自分の特徴と有名人の遺骨があるということにより、11月2日(*)だけに全ての霊に敬意する巡礼人の行き場所ではなく、一年中に訪ねられた戸外の美術館のような場所になります。
(*)翻訳者注:キリスト教の伝統による、11月2日に全ての死者の霊は敬意されているので、全てのイタリア人は先祖の墓を訪ねに行きます。

イーゴリ・ストラヴィンスキーとその妻ヴェラの墓に小石や貝殻を持っていく人、ロシア・バレエの興行主セルゲイ・ディアギレフの墓にバレエシューズを置いておく人、ロシアの詩人イオシフ・アレクサンドロヴィッチ・ブロツキーの墓を訪ねに行く人もいます。サン・ミケーレ島の墓地は誰でも歓迎します。ヘレニオ・エレーラといったスポーツ選手、ラウレッタ・マシエロセスコ・バセッジオのような俳優、ルイジ・ノノのような作曲家、エミリオ・ヴェドヴァテオドロ・ウルフ・フェラーリヴィルジリオ・グイディのような画家、クリスチャン・アンドレアス・ドップラーのような数学者や物理学者など。100人の有名人以上だけではなく、宗教家、飛行士、兵士、戦死者、出産で亡くなった女性の物語、親の愛から引き離された子供などの庶民の遺骨もあります。そして、サン・ミケーレ島の墓地は傷心の物語も伝え続けています。例えば、22歳のロシア人の女性ソニア・カレンスキーは恋愛の失望、またはお見合いによる、ヴェネツィアで自殺することにしました。その若い女性のブロンズでの彫像は、彼女の死体を発見された時と同じく、目を閉じているまま、ナイトドレスを着て、片腕をぶら下げています。100年後、多くの旅人がこの女性の物語に感動するので、彼女の彫像の手は輝いているほど何回も触られています。