サン・マルティーノ祭りの歴史とその民間伝統

6 December 2021

焼き栗やワインの匂い、鍋のふたに叩く木製スプーンの音やドラムみたいなアルミ缶。ヴェネツィアの最も高級のパン屋とパティセリのショーウインドーはカラフルなサン・マルティーノのお菓子を展示します。サン・マルティーノのお菓子はサクサクする生地で作られ、様々なサイズを持っているビスケットです。このビスケットは馬に乗りながら剣を持っているマルティーノ聖人の伝統的な形にされ、アイシング、キャンディー、チョコレートマの金銭、そして「スパッカデンティ(折り歯)」と呼ばれる典型的な銀色の小さいボールでデコレーションされています。子供たちはグループでサン・マルティーノのように冠をかぶって、各自が片手に鍋を持って、それを叩いて音を鳴らし、「サン・マルティーン〜…」の歌を歌いながらヴェネツィアの狭い道に歩きまわります。

ヴェネツィアに1111日はこういう風に祝われています。お店にお菓子や小銭を貰えるように回っている子供たちの叫びの中で。

この伝統は、サン・マルティーノ教会があることにより特にカステッロ地区に大切にされています。サン・マルティーノ教会はいつ設立されたのかまだ不明ですが、8世紀に地元から逃げたフェッラーラ出身の家族かロンバルド人から設立したという説があります。伝統によると、その教会の設立は6-7世紀に遡り、その中で聖人の聖遺物(マントの一部、指骨と脛骨)を所蔵されています。そのため、この守護聖人の信仰の起源がこの教会と繋がっているのは確かなことです。

サン・マルティーノを祝うことは古い伝説と繋がっています。この伝説の主人公は改宗した騎士マルティーノ・ディ・トゥルースです。11月の冷たい雨の日に、マルティーノは道端で寒さで震えている貧しい男を見ました。お金もないし、どうやって助けてあげたらいいのかわからなかったマルティーノは自分のマントを半分に切り、その乞食は温まれるようにあげました。この行為の後、天気は晴れ、まるで夏のように温かくなりました。その夜に、マルティーノは夢を見て、その乞食はイエスだったと分かり、翌日の朝にマントは手付かずに戻りました。マルティーノは397年11月8日に亡くなり、11日に葬儀は行いました。

このようにして、ヴェネツィアにも数年前から他の都市にも、サン・マルティーノお菓子を作る伝統があります。そのお菓子はヴェネツィアのパン屋に生まれ、ヴェネツィア人のテーブルに欠かせないものなのです。以前はこのビスケットの形は小さく、現在より地味はもっとサクサク、チョコレートの層がありましたが、現在はアイシング、チョコレート、キャンディーといったデコレーションの方があります。

ヴェネツィアの中心部と島々以外の都市では、サン・マルティーノ祭りは「農民の正月」としての方が祝われ、その日に焼き栗とワインを食べられています。過去にこの時期にブドウの収穫が終わり、農民は重労働から休んでいました。そのため、サン・マルティーノ祭りは農業の伝統に結び付き、この時期に一年間の新しいワインは樽から開栓されます。その伝統からイタリア語で「サン・マルティーノの日に全てのブドウ汁はワインになる」という表現があります。