ブラーノ島のブッソライ(*)の歴史、一家の伝統から共通の遺産

16 November 2021

(*)翻訳者注:ブラーノ島に生まれ、伝統的になったビスケットです。

明け方の目覚め、空気中に漂う小麦粉の粒、溶けたバターの香り、ビスケットの外はカリッと、中味はふんわりとした食感にするためにちょうどいい温度でスイッチされたオーブンのぬくもり。そして、自分の仕事を完璧に知り尽くし、形のない生地から「S」の形を持っているビスケット(*)を作る知識がある玄人の動き。ブラーノ島の歴史あるパン屋「カルメリナ・パルミサノ」に入るのは、情熱、古い伝統、家族関係の世界に貫くようなことです。カルメリナさんのご主人、ジョルジョ・セニガッリアはそれをよく知っています。彼はこのパン屋の主人で、10歳からパティシエとして働いています。その場所こそで、仕事を学なばいといけなかった少年は男子、ご主人、パティシエとブッソライの専門家になりました。
(*)翻訳者注:ヴェネト州に「S」の形を持っているビスケットがあり、それはイタリア語の「S」という発音(エッセ)と同じように呼ばれています。

「過去に一般的だったように、学校を終わった後は仕事を習うために、働き始めることは必要でした」パティシエのジョルジョ・セニガッリアが語ります。「トッマソ・パルミサーノ(ジョルジョの義父)にすべてを教えてくれました。最初にパン作りを習いはじめ、その後はお菓子。今は82歳でもまだここにいますね」とのこと。

現在はヴェネツィアの1600年間の長い歴史一部であるこのビスケットの伝統は、ブラーノ島から外国にも広がりました。しかし、全ては90年前、パンとビスケットの香り、自分の作りものを食べることにより、目がキラキラになる他人を見ることを愛するふたりの兄弟から始まりました。

20世紀の最初にバジリカータ州出身の一家がカオルレ(本土にある街)とブラーノ島に引っ越しました。南イタリアから、水から囲まれている島に位置、カラフルな家が並ぶ小さな街に引っ越すことは違う文化と習慣と慣れることも巻き込みました。慣れる新しいことが多かったにもかかわらず、その二人のパンや美味しいお菓子の愛は普遍的なもので、バニラの香り、焼き立てのパンで人々を結びつけることができました。このようにして、南イタリアの血液を持ち、ヴェネト州のラグーナにある小さな島の漁師の中で育ったその二人は1926年に二つのパン屋を開店することにしました。そのパン屋は現在もブラーノ島にありますので、歴史的なパティスリーとなり、ヴェネツィアの象徴であるブッソライの伝統を世界中に普及するために貢献しています。

過去に季節的なお菓子でしたが、現在ブッソライはヴェネト州やヴェネツィアの全てのお店の棚の上にあり、丸い形もエッセ(S)の形も、伝統通りでもクリーㇺやママレードなど入りでも毎日作られ、このビスケットは食べる人に世界のどこでも、ヴェネツィアを味わえることができます。

「現在のようなブッソライの大規模な生産は、観光業の影響で戦後に始まりました。しかし、過去にブラーノ島の各の家族は年一回、イースター(復活祭)の前にブッソライを作りました。その後は、うちにオーブンがなかったので、島の四つのパン屋にビスケットを持ち行って、焼いて、保存され、イースターに食べられていました。」とジョルジョ・セニガッリアが説明します。

伝統的ならブッソライの形は丸いですが、最近にエッセの形もあり、それは一番人気になりました。サイズが大小ですけれども、このビスケットのオリジナルレシピを何年にわたり変っていないのです。ベースは非常に簡単で、バター、卵黄、砂糖、小麦粉から始まり、そして少量のバニラフレーバーを加えるだけです。小麦粉1キロに卵黄12個、砂糖600グラム、バター300グラムを加えています。水も他の液体も入れずに、そのままで生地は練り上げられています。その後は少しの生地を取って、丸い形やエッセの形にされています。

「現在、このビスケットの生産は機械でも手作りでも作られています。ここのブラーノ島のお店では昔と同じく、大サイズのブッソライを手作りでやっています。しかし、大規模流通の売れ行きに対応するために、機械が必要なので、イエ―ソロ(土地にある都市)にラボがあり、あそこで娘が全てを管理します」とジョルジョはコメントします。

漁師の家族のビスケットであるブッソライは、誰もが食べられるスイーツになりました。このバニラ味のビスケット、イースターの伝統的なお菓子から、日常生活の一部で、昔の同じ香りやサクサク食感と共に、口内にブラーノ島の味もその島の歴史も残すお菓子になりました。